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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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内職が始まった
 
 いつのまにかこんな制作風景になった。アトリエに据え置きの大きなイーゼルもあったのだが今は部屋の片隅で埃をかぶっている。特に水性の絵の具を使うようになってパネルを立てて描く事が少なくなった。日本画の作家は畳の上で画面を寝かせて描くのが普通のようだが、私の方法もややそれに近い。

 何故絵を描くのか?そこのところがよく分からない。絵描きになりたいと思って始めたのだけれど、今の私は絵描きなのかどうか、確かに物は作ってはいるけれど、何か具体的に物を描写することはない。私にとっては大事なもの、心の拠り所みたいなものだとは思うのだけれど、いや物そのものがというより描いている、作っているというそのことが、私にとっては慰めになっているように思うのだけれど、それが人様に必要なものかどうかわからないな。

 行者や修行僧が修行の一環として護符とかイコンを描いているのを見たことがあるけれど、あんなのに近いかもしれん。あわよくば人様にも良かれと思うのだ。
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 といいながら、わがアトリエを眺めると確かに雑木林の混沌のようだ。狭いものだから物は段々と上に重ねあげられて、一つの壁になっている。奥にあるダンボール箱にはボロ布が色に分けて入っている。これはボロ布というのか、絵の具というのか私にとって画材ではある。この雑然とした混沌にもそれなりのルールがある。ただ単に無秩序に物が置かれているわけではない。「無意識」ではない。ここのところが微妙だな。

 その一定のルールがその人の「好み」とか「嗜好」と微妙に関係する。全く「無意識」というのは自然ではあるけれど創造物ではない。できるなら無意識にあるがままに生きたいとは思うのだけれど、そこはそれ凡人だからどこか意識してしてしまう訳だ。

 何だか分からんようになった。まただな。



 
はる 2736
 時期がとても悪いようだ。今朝、画廊に電話したらそういっていた。東京はとても物が売れる状態ではないみたい。ちょっと困るなぁ・・。

 壁の飾りを描いているつもりはない。どれもみんな必要に迫られて、私の心が要求したものだ。今の時代を生き、今この瞬間を感じて生まれてきたものだ。だから観る人の心に何かしらの共感を感じてもらえると信じている。でなければ絵を描く意味もない。もし少しでも興味があったら、是非一度足を運んでください。私は連日画廊につめています。

 という訳で、この木曜日(18日)からまた出稼ぎにお江戸に出ます。今回はクリスマスをはさんで26日までかえりません。

 日記の更新はシャメだけになるかもしれませんが、出来る限りします。個展にこれない方は毎日の報告だけでも見てください。

 ■2008年 12/19(金)~12/25(木)
 第46回・榎並和春個展・銀座
  ギャラリー惣
  「いつかみたところ」

 銀座・ギャラリー・惣
東京都中央区銀座7-12-6 トキワビル5F 03-3541-4380

 (詳しくはHPをご覧下さい


はる 2735
 いつのまにか今のような生活になってしまったけれど、その萌芽はずっとずっと前の子供頃にあった。きっちりと就職して給料をもらっている姿というのが想像できない。

 ある意味自分が望んだから、どこかで取捨選択してきたから今の生活があるわけで、大きな不可抗力(戦争とか革命とか)がない限り、誰もがみんなある程度望むような生活になるのじゃないかな。

 じゃどんな生活を望んで来たのかといえば、まぁこれこれだとははっきりいえない。絵描きというのが目指すべき職業だったと言う風には思えないからだ。だれも自分の近くに絵を描いて生活していた人はいなかったし、まぁまわりを見渡してもほとんどが公務員かサラリーマン、商売屋、お百姓、職人、そんなもんだった。

 職人といっても街中にいれば大工さんか左官屋、ペンキやそんなものかな。特に画家とか作家など選択肢には上ってこない。目指してなれるものでもなかったからだろうな。

 



何じゃこれは!オモロイ。
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