画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 3629
[いまここ」の話も続きを書きたいのだが、今日は少し違う話をしよう。
毎年教科書の見本が送られてくる。業者さんも大変だ。美術などという大して必要とも感じていない科目はどんどん時間を削られて今や風前の灯火になってきたからね。一校でもこうやって続けてくれるのはありがたいことかもしれん。まぁ別に私の手柄ではありませんが・・。
で、薄っぺらな教科書を何気に読んでいたら、なかなか鋭いことが書かれていた。教師である私が読んでもうなってしまうほどいい文章だった。写してこようと思ったんだけれど忘れてしまった。というか面倒になったという、いつもの情けないはなしだ。
うろ覚えだけど、少し書いてみよう。私の解釈も入っています。
美術は単に綺麗だ、とかかわいいとか、お洒落~というだけのものか。日本は周りを海に囲まれて、資源は少ないけれど何よりも美しい四季折々の風物や食べ物に恵まれている。それを当たり前のように感じて、普段何気なく暮らしてはいるけれど、世界のなかで考えてみると、そうではない環境で、また戦争や何らかの理由で先祖から受けつながれてきた土地を離れなければならない民族もいる。
ここで、この教科書が書かれたのは今回の震災以前の話で、今の福島のことを考えると、上の言葉が現実となって降りてくる。われわれは、いまだかつて経験したことのない、大きな罪を背負ったことになる。生まれる前からそこにいて、そこで生きてゆく事を前提とした人生が、自分たちのせいでもない理由でその場を離れなければならない、なんとも悲しい話だ。その事の意味を未だにだれも真剣に考えていない。単に生活を保障するとか賠償すればいいといった話ではないのだな。
そうやって自分たちの土地を離れなければならない時に人は何を持ってゆくのだろう。食べ物や生活の道具は必要だ。もちろんお金も必要だろう。けれどなんでもかんでも持ち出す事はできない。最低限必要なもの、自分にとってこれをなくしてはこれからの人生生きてゆけないというものは何だろうか。
今回の震災の後、大変な瓦礫のなかから家族の写真を拾い集めて洗って持ち主に返すボランティアをしている人たちがいた。戦争でもう二度とこの地に生きては帰れないだろうと思った若い兵士は一枚の恋人の写真や家族の写真を持っていったのだろう。
信仰のある人はマリヤ像かもしれないし、もって歩ける何か心の拠り所になる偶像かもしれない。
飾り物や綺麗なものでなくていい。故郷を離れなければならなくなった旅人が持って行きたくなるようなものが本物かな。まぁそんな深刻なものは私には作れないだろうけれど、いつも思うのは単に生活のなかの飾り物で終わりたくはないな。
[いまここ」の話も続きを書きたいのだが、今日は少し違う話をしよう。
毎年教科書の見本が送られてくる。業者さんも大変だ。美術などという大して必要とも感じていない科目はどんどん時間を削られて今や風前の灯火になってきたからね。一校でもこうやって続けてくれるのはありがたいことかもしれん。まぁ別に私の手柄ではありませんが・・。
で、薄っぺらな教科書を何気に読んでいたら、なかなか鋭いことが書かれていた。教師である私が読んでもうなってしまうほどいい文章だった。写してこようと思ったんだけれど忘れてしまった。というか面倒になったという、いつもの情けないはなしだ。
うろ覚えだけど、少し書いてみよう。私の解釈も入っています。
美術は単に綺麗だ、とかかわいいとか、お洒落~というだけのものか。日本は周りを海に囲まれて、資源は少ないけれど何よりも美しい四季折々の風物や食べ物に恵まれている。それを当たり前のように感じて、普段何気なく暮らしてはいるけれど、世界のなかで考えてみると、そうではない環境で、また戦争や何らかの理由で先祖から受けつながれてきた土地を離れなければならない民族もいる。
ここで、この教科書が書かれたのは今回の震災以前の話で、今の福島のことを考えると、上の言葉が現実となって降りてくる。われわれは、いまだかつて経験したことのない、大きな罪を背負ったことになる。生まれる前からそこにいて、そこで生きてゆく事を前提とした人生が、自分たちのせいでもない理由でその場を離れなければならない、なんとも悲しい話だ。その事の意味を未だにだれも真剣に考えていない。単に生活を保障するとか賠償すればいいといった話ではないのだな。
そうやって自分たちの土地を離れなければならない時に人は何を持ってゆくのだろう。食べ物や生活の道具は必要だ。もちろんお金も必要だろう。けれどなんでもかんでも持ち出す事はできない。最低限必要なもの、自分にとってこれをなくしてはこれからの人生生きてゆけないというものは何だろうか。
今回の震災の後、大変な瓦礫のなかから家族の写真を拾い集めて洗って持ち主に返すボランティアをしている人たちがいた。戦争でもう二度とこの地に生きては帰れないだろうと思った若い兵士は一枚の恋人の写真や家族の写真を持っていったのだろう。
信仰のある人はマリヤ像かもしれないし、もって歩ける何か心の拠り所になる偶像かもしれない。
飾り物や綺麗なものでなくていい。故郷を離れなければならなくなった旅人が持って行きたくなるようなものが本物かな。まぁそんな深刻なものは私には作れないだろうけれど、いつも思うのは単に生活のなかの飾り物で終わりたくはないな。
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