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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2947
 今日は随分と暑かった。

 こんな暑い日が続くと夏休みが恋しくなる。まだクーラーなどほとんどのところで普及していなくて、遊びに出れば汗と埃がごっちゃになって張り付いたようになったシャツを気にすることもなく、当たり前のように毎日過ごしていた。あの時と同じ時間を過ごすことはもう二度とはないけれど、なんだか妙になつかしい気がする。

 千葉では個展が始まった。こんな感じで搬入から飾り付け接客など全てをお任せした個展は初めてだ。画家と画商という分業制と考えると、こういった形もいいのかもしれないな。まぁちょっと寂しくはあるのだけれど、近くならば飛んでゆくのだけれどね。

 まだ日本には画商らしい画商は少ないのだけれど、本来画廊と言うところは絵を観覧するという目的と、もう一方で販売するという場所でもあるわけだ。画商はこれだと思った、自分が気に入った作家にターゲットを絞って展示会を企画する。それが本来の画廊の仕事であって、画商の面白さだと思うんだな。

 画廊もボランティアではないわけだから、その作家の作品が売れるかどうか、商品として力を持っているかどうかというのが大きな問題となる。是か非か、売れるか残るか。それで生きてゆくというのはだから身を切るような修行がひつようなんだな。

 例え千円でも必要ないものは誰も買わない。それはそれはシビアなものだ。そこのところをないがしろにして画商という商売はできない。画商の目というのが大切にされる所以だ。けれど多くの場合、自分の目の判断ではなく、例えば学歴、たとえば肩書き、たとえば経歴でその作品を判断して売買される。それに頼っていると楽だからだな。一般的な受けを得られるからだな。結局は自信がないからなんだな。

 画廊というところは、そのオーナーの見識を問うところだ。そういった画廊だと作家はそこにいる必要はないかもしれないな。その作家を選んだことが、とりもなおさずその画廊の目だということだからだ。

 絵は詰まるところそういった画廊で発表してゆくという方向になるのではないかな。

 
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待つこと
しっかりとした眼をもった人が見つけてくれて、声をかけてくれるのをじっと待つ。それまでつくり続けてゆけるか、ものつくりはその覚悟があるかないかで決まるんじゃないでしょうか。僕はそう思います。
飯野 2009/07/16()01:23:40 編集
おはようございます。
 今日も暑そうですね。強烈な陽射しが朝から照り付けています。

 そうですね、これがなかなか待てないのです。学校でてからの10年は何とか我慢できても、その後10年我慢できるかどうか、そこのところが正念場ですね。

 器用な人は案外待てません。簡単に出来てしまうからでしょうね。不器用な人がいいのですよ。そう言ってあげて下さいな。
はる 2009/07/16()09:22:46 編集
無題
「お前、頭悪いんだから、体を動かせよ」と言ったら、怒りもせずに、「そうだなあ」とにっこりした。あいつなら何とかなりそうだ。不器用で、ちょっと頭が悪いくらいがモノづくりには丁度いい。頭悪すぎるのは、これは問題だけれど。
飯野 2009/07/17()01:13:54 編集
おはようございます。
 そうです。自分自身が本気になれるかどうか、まだ根性が定まっていないんですね。ゆっくり育ててあげてくださいな。では。
はる 2009/07/17()08:50:31 編集
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