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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 閑話休題
(まだ途中)
 芸道者の生き方と宗教者のそれとは似ているけれど、かなり違う。本当に単純に全てを捨てて単に祈るだけ、芸事だけの生活ができればそれにこしたことはないのだろうけれど、なかなかそうはいかない。色んな欲や煩悩があって邪魔をするんだな。だからこそ人智を超えた何者かに生かされている自覚みたいなものが必要なんだけれどね、凡人の我々は、まぁ日常生活の中で実践する、生きながら考える、試行錯誤する、そうやってふらふらと生きてゆくしかない。その悪あがき、道程が(芸)表現として残ってゆくのだろう。

 今考えているのは結局、真善美の全てのことが人間として「よく生きる」ため「愉しく生きる」ための方法を探しているのではないかな。まぁ「よい」というのが時代や民族や習慣によって様々に変わってはゆくのだけれどね。よく勘違いするのは、公教育というのは国に奉仕する国民をつくるためだ、学校で勉強するのはいい学校、いい会社に就職をするためだという風に分かりやすく説明されることだ。一見凄くまともに見えるけれど、根本的な間違いをおかしている。

 科学や哲学、宗教にしても最終的には自分を知ることでどうすれば充実した人生がおくれるかということを気づかせることであるはずだな。そこのところが抜け落ちてしまっているからどこかおかしくなってしまう。

 話が横道にそれた。

 芸術もそのための一つの道具、方法ではないかな。芸術のための芸術はかっこいいけれど、私には理解できない。まぁ本当のことを言えば、芸術に目的はないのかもしれん。目的のあるものは芸能なのかな・・。よくわからない。

 まぁ、そうやって日常生活の中でアートがあることで生活がちょと豊かになる。そんな下世話かもしれない、通俗的かもしれないけれど、暮らしの中に「一輪の花」を飾ることは心情的に私の生き方に近い気がしている。

 私の生き方は通俗的なそんなところかな。
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