画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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今朝の新聞に吉田秀和がイギリスの民意について書いていた。簡単に言えば新しい技術というものは、まだ発展途上のものであって不確実性を含んだもので、それを踏まえて付き合えというようなことだろうか。
産業革命を経て先進的な機械文明を謳歌してきた英国は、だからこそ新しい技術というものは輝かしいものであるけれど、もう一方では何かとんでもない失敗が隠れていいるものだということを、身にしみて知っているとうことだろうか。
かの国の民意がどういうものか、民主主義についても私は何も知らないけれど、知ったかぶりで書くことを許してくださいな。
我々は政治に対してとんでもない勘違いをしている気がする。未だに「お上」的な考えで、何かやってもらう、してもらうということばかりを期待していないだろうか。本来は民意の総意として「やらせる」という方がただしいのではないかな。
「やってもらう」というオネダリ体質がやがては天下りに癒着に予算のばら撒きに補助金漬けになってしまうように思う。明らかに負の大きな力が出来上がってしまう。我々の中に、何となく政治とはそんなものだという意識があるようにおもう。
予算をつけてもらうとか、配分してもらうことに国会議員を何とか利用して既得権として優遇してもらう、仕事を回してもらう、そんな事のために政治と言うものを利用していないだろうか。
だから、政治というものが凄く胡散臭い、まして政治家という人種がとても尊敬できる人物ではなくて小汚い俗物のように思えてしまうのだ。本当はもっと理想があってもいいように思うのだな。
我々の中にある「やってもらう」「してもらう」というオネダリ体質を放棄すうることだな。指示を待つのではなく、自分たちが自主的に考えて、国民の総意として「やらせる」という方向にもってゆかねばならないように思うな。どうだろうか。
産業革命を経て先進的な機械文明を謳歌してきた英国は、だからこそ新しい技術というものは輝かしいものであるけれど、もう一方では何かとんでもない失敗が隠れていいるものだということを、身にしみて知っているとうことだろうか。
かの国の民意がどういうものか、民主主義についても私は何も知らないけれど、知ったかぶりで書くことを許してくださいな。
我々は政治に対してとんでもない勘違いをしている気がする。未だに「お上」的な考えで、何かやってもらう、してもらうということばかりを期待していないだろうか。本来は民意の総意として「やらせる」という方がただしいのではないかな。
「やってもらう」というオネダリ体質がやがては天下りに癒着に予算のばら撒きに補助金漬けになってしまうように思う。明らかに負の大きな力が出来上がってしまう。我々の中に、何となく政治とはそんなものだという意識があるようにおもう。
予算をつけてもらうとか、配分してもらうことに国会議員を何とか利用して既得権として優遇してもらう、仕事を回してもらう、そんな事のために政治と言うものを利用していないだろうか。
だから、政治というものが凄く胡散臭い、まして政治家という人種がとても尊敬できる人物ではなくて小汚い俗物のように思えてしまうのだ。本当はもっと理想があってもいいように思うのだな。
我々の中にある「やってもらう」「してもらう」というオネダリ体質を放棄すうることだな。指示を待つのではなく、自分たちが自主的に考えて、国民の総意として「やらせる」という方向にもってゆかねばならないように思うな。どうだろうか。
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