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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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雑貨とコーヒー
わじあじあ
甲府市住吉3-27-24
055-237-2133
 ちょっとショックな出来事がありました。というのは長年私の左手にありました時計が突然消えてしまいました。この時計は私が29歳の時に意を決して学校の先生になった時に兄貴がくれた大事な腕時計です。結局学校の先生は一年しか出来ませんでしたけれど、それはそれで結構気に入った時計でした。30年つれそったわけですから愛着もあります。警察にも届けましたが出てくるかどうかわかりませんね。けっこうショックです。

 実はさっき車の中をもう一度探しましたところ、椅子と椅子の間からひょっこり出てきました。上から隠すようにタオルがかかっていたので見落としていたのです。しかしまぁ大騒ぎしてすみませんでした。警察にも先ほど電話しましてご苦労さまでした。
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 最近はキャンバスを購入することがなくなった。もっぱらパネルに適当な綿布を張り込むか、コーヒーのズタブクロをもらってきて解体して張り込むことが多い。上の写真はホームセンタで売っている園芸用の麻布です。これは少し荒らすぎる(布の目)のところもあるけれど、それを反対に利用すれば使える。兎に角画材としては破格に安価である。

 私がミクトメディアに移行したきっかけはコラージュを含めて色んな材料を画面の中に持ち込めるという特質からだ。油彩の作家でもコラージュしている人は多いけれど、どうしても油彩とコラージュとはマッチしないように思えるのだ。油彩でゆくなら徹底的に油彩の画材を研究してそれに適した作画方法を考えるべきだ。私的に考えるならば、油彩画は光沢のある滑らかな絵肌が適している。そういった画材なのだ。

 印象派以降絵画はどんどん解体された。始めは色から、次にその支持体や絵の具まで綺麗に解体されて既成の売られているものをそのまま買ってきて絵を描くという時代は平和な時代だったんだな。まぁそれがもっと進めば絵など描かなくてもその考え(コンセプト)さえしっかりしていればいいなどというへんてこりんな理屈も有りになる。

 ちょうど我々が学生だった頃、そういったコンセプトアートやその場の空間を材料に組み込んだインスタレーションなども出てきてますます訳が分からんようになってきた。今もそんな状態の延長上にある。

 文明開化から何も疑わずに西欧文明を猿真似してきた我々は、ここにきてはたと気がついた、西欧人でもない我々がなぜ油彩画を描くのか?そこでさて油彩画というのはそもそも何じゃいなとうことで徹底的な祖先帰りが始まったわけだ。そして全てのものを根本から洗いなおしてみるというイチダイブームが起きた。

 油彩画のもっと前のテンペラ画とかフレスコ画とかそういった画法、技法が一躍スポットを浴びたんだな。今は巨匠になってしまった絹谷さんなどの仕事が評価された時だ。さっそと有元利夫が出てきてあちらに行ってしまった。

 私はそこから一つだけ影響を受けたのは油彩でなくてもいいということだ。絵の具も顔料から取り寄せたり、建築材料の顔料をつかってみたり、基底材はキャンバスでなくていい、紙や布土なども画材として画面に持ち込めることを知った。随分と選択は広がったように思う。

 根本は何を描きたいのかということだろうな。描くことは多分一つだ。 

 昨日女優の大竹しのぶのドキュメント番組をやっていた。彼女は女優としては天才的なところがある。まぁ私生活では男を惑わす毒婦のようなところもあるけれどね。その彼女が答えて「お客さんは役者の裸をみたいのですね、さらけ出した裸の姿を見たいのですね。恥ずかしがって出し惜しみしたしたようなものは私はみたくないですね」

 覚悟が必要なんですね。



 
 今日は真夏日になったそうだ。ついこの間寒くてふるえていたのにこの気温の差はついて行けないな。上の写真は満開のナニワノイバラ。このバラは放っておいてもどんどん繁殖する。無精者にはもってこいの庭木だが、反面丈夫過ぎて繁茂しすぎるきらいがある。少し切りまこなくてはジャングルになる。

 今日は午前中に苗やさんに出かけて今年の苗を何種類か買ってきた。きゅうり、なす、とまと、ピーマンの定番。オオバ、バジルのハーブ類、ルッコラ、パクチーは種を買った。かぼちゃは昨年豊作だったので、今年もそれを期待しよう。生姜、冥加が好きなのでこれも苗をかってきた。にんじんジュースが自家製のものでまかなえれば嬉しい。葉ものは春菊。何処まで出来るかわからないけれど、完全無農薬の我が家の菜園は頼もしい存在でもある。

 子供の頃の少年雑誌は夏休みなどの前になると、色んな特集が組まれていた。けっこうわくわくしたのが樹の上の棲家とか、どうやって水を運ぶのかとか、シャワーの作り方とか、空き箱と利用した椅子とかベッドとか、何か廃棄物を利用して物を作る、それを使って遊べるといったことだったな。工作少年だった私はそんなことにとても空想力を刺激されたものだ。

 今の少年むけの雑誌が子供たちにどんな夢を見させているのか知らないけれど、手と頭を使って工夫して物を作るという醍醐味というのか面白さは、小さな画面を相手にピコピコやってるゲームより数段わくわくする遊びだと思う。そして無い事、足らないことで代用したり空想したりすることで、想像力というのはどんどんと着いてくるんだな。



 
resonanceより勝手引用
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私たち人間は言葉によって世界を理解し、言葉を通して体験を経験化している以上、言葉の牢獄から逃れることはできない。私たちの使う言葉が陳腐化してしまえば、私たちを取り巻く現実世界も腐食する。何となく変わらぬ退屈な日常の繰り返しという倦怠感におそわれる。もしこの文章を読んでいるあなたがそう感じているのなら、まず「見ること」から学び始めなければならない。そして、世界をもう一度新しい言葉で語り直すのだ。そうすればあなたは世界は同じでも見る視点が変わるだけでこんなにも違って見えるのかと思うことだろう。そして自然の美しさにあっと息をのむかもしれない。
「見ること」について―詩人とまなざし « Akizukiseijin’s Weblog (via beso) (via nemoi) (via konishiroku) (via dewfalse)

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大石正巳のアトリエ日記より勝手引用
http://laseine38.exblog.jp/14301782/
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 ・・略・・世界大戦でドイツがフランスを侵略した時フランスは軍事的には無抵抗
をとうして国と国民の命を守ったと新聞で読んだ。もし闘っていたら大変
な惨事になっていたかもしれない。ドイツ秘密警察〔ゲシュタボ)がピカソ
のアトリエに来てゲルニカを見、これはあなたの仕業かねと聞いた時、
ピカソはこれはあなた方の仕業だよ、とこたえた時のエピソードを思い出
した。・・略・・

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吉川春水、昨日今日明日より勝手引用
http://kikkawaharumi.blog68.fc2.com/blog-entry-73.html#more
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・・略・・永井荷風の人が言うところの「陋巷に窮死した」最期を「荷風は、とうとう、自分というものを貫きとおすことができた」と書き、子規の晩年を「六尺の病床に縛られたのではなかった。その中に自分を発見したのだ」と書いているのは、他人にはどのように見られようとも、自分が納得する最期、剛毅な最期を迎えるという覚悟を自らに課しているように思えます。・・略・・
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こえをきく
2010 5/26~6/14(火曜定休)
山口画廊
千葉市中央区春日-6-7
043-248-1560

DMご希望の方は↓までお知らせ下さい。
http://www2.journey-k.com/~enami/mailform.htm
 
「気がつけば82歳」より勝手引用
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憲法記念日
http://thoughts.asablo.jp/blog/2010/05/03/5058786
・・略・・
私はこの憲法が好きだ。
昭和20年の敗戦から昭和22年にこの憲法が発布されるまでの経緯を報道される範囲ではあったがつぶさに眺めた。
多感な20歳過ぎたばかりの若者には 軍国日本から脱皮して民主国になる証しに思われ、公布された憲法の条文を何度も読んだ。
「主権の存する日本国民の総意に基く」の文にわくわくした。
「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」の文字に、平和日本を確認し喜んだ。 希望の象徴と思えたのだ。

当時60歳代の男性から、番犬もいない鍵もない不用心な状態で本当に大丈夫なのか というツブヤキを聞かされた時に
「日本は世界平和の礎になるんだから」
と反論した覚えがある。 青臭いと思われただろうな。
戦争のない世界の平和を心から願い、実現できると信じていた。
何も失うモノのないどん底の日本だった。

60年前の憲法は実情に合わない点も出てきたのかもしれない。
だが心配症の私は昔昔の軍国主義に傾斜していった頃を思い出し、改悪に繋がりそうな不安を持つ。
・・略・・
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 色んな条件があるのだろうけれど、そういったことを抜きにして純粋にどこで住んでもいいといわれたら何処に行くのだろう。

 外国ならイタリアかな?一度短いけれど住んだことがあるので、多少なりとも言葉が理解できたり、土地勘がきく。スペインやフランスもいいなぁとも思う。パリはおしゃれな街だった。でもさしずめ言葉に困る。読み書きが出来ないのは小学生以下の待遇しか得られない。西欧の根本は対話の国、ロジックの国だ。日本のように阿吽の呼吸では何も伝わらないし、気分や雰囲気だけでは正当に理解してもらえない。だから疲れるだろうな。

 日本なら何処なんだろう。ほとんど記憶もない島だけれど、生まれ故郷の淡路島という手もある。海が綺麗だった。絵を描いて生きてゆくなら気候も温暖だし、年老いて寒いところが苦痛になってきたらそれもいいかもしれん。ただ橋が出来て便利になって移住する人が多くなって競争率が高いかも知れんな。

 東京のマンションに住むというのもなかなかおしゃれでよい。年取って車の運転が出来なくなったら、公共の交通機関が発達した都会暮らしが便利だ。病院などのサービスも受けやすい。

 今ひとつは京都の町屋に住みたいというのはずっと昔から考えていた。具体的には何も考えてはいないけれど、関西に帰るというのもいいかなと思う。特に京都は暮らしの歳時記がまだ生きている。

 まぁ夢といえば夢か。



 

http://resonance-1111.tumblr.com/
より勝手引用
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リチャード・ハミルトンのポップアート定義

Pop Art is:

「ポップアート」とは

Popular(designed for a mass audience)

「うけ」がよく(大衆向き)

Transient(short term solutions)

すぐ消えて(短期間でおしまい)

Expendable(easily forgettable)

使い捨てで(カンタンに忘れられる)

Low Cost

金がかからない

Mass Produced

大量生産されたもので

Young(aimed at Youth)

ガキくさい(若者をターゲットに)

Witty

おしゃれで

Sexy

セクシーで

Gimmickly

ちょっとした「いかさま」もある

Glamorous

魅力的な

Big Business

「金もうけ」のことである。

BLUE LIGHTS - words from Keibunsha
  (via ku) 2007-10-11 (via gkojay, pootee)
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引用終わり

 
iwaibitokumis.jpg

祝人(再生+お祭り)
84回国展の作品
162x356cm
 
 祝人と書いて(ほきひと)と読む、それがなまって(ほいと)となったらしい。意味は「正月の祝言を唱えて歩くこじき」とある。ようするに旅芸人なんだろう。それでも祝人という字面は「おめでたい」感じはする。まぁ我々芸に生きるものは全て同じ道にあるきがしている。どうだろうか?



 
 国展が無事始まりました。いままでこれほど待っていた展覧会はないかもしれない。カタログも無事間に合いました。すべてOK
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