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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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チェロをめぐる冒険より勝手引用
http://blog.goo.ne.jp/cellokichi/e/
064aeca86320eb77c0988ca1658b5bb5


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 略・・
エチュードでの練習で大切なことは、初見能力とか、反射神経ゲーム的に指が動くとか、そんなことではなく、「できないことをいかに時間をかけてものにするか」、なのだそうです。
後略・・
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はる 3478
 あけましておめでとうございます。皆さんいいお正月を過ごしていますか?今年もがんがん個展を開催してゆきます。よろしくお付き合いのほどを・・。

 



 
はる 3477
 いよいよ今年も終わりです。大晦日。今日は久しぶりに寒いです。

 それではみなさん、良いお年をお迎えください。
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suyama design/須山悠里 | note  より勝手引用

http://suyama-d.com/note/2010/12/post-45.html

本などなくても、家などなくても、金などなくても、何もなくても今喋り、今考え、今笑うことから始めればいいということ。世界とちゃんとつきあえば、向こうの方から秘密を教えてくれるのだということを。やればやるほど、愉快で、もしも面白くならないとすれば、それは間違っているということを。」(後藤繁雄『独特老人』まえがきより)
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http://artlabo.ocnk.net/product/1920  より勝手引用

彼らは誰かに喋らずにはいられない。たった今見出した世界の秘密についての発見を、とにかく色あせないうちに、消失しない間に、誰かに話さなければならない。人生は短く、芸術は長い。これが自分だけの思想であるなどという、けちなことは言っておれない。各界を代表する老人たちに話を聞いたインタビュー集。 
 



 
はる 3475
 今年も後二日になった。今日は台所のレンジ周りや窓の掃除をした。どちらかと言えば「ほこりで死ぬことはない」というタイプなので、掃除は得意ではない。アトリエの床は仕事が終われば簡単に拭いたりするけれど、大体が細々したものが床に置きっぱなしなので、混沌としている。

 昨日来年早々に二年ほど青年海外協力隊で日本を離れる教え子が挨拶にきた。色んな世間話をしながらたまたま現代美術の話になった。この間から考えていたことの続きのようなことだけれど、少し書いてみよう。

 絵画を色と形にどんどん分解してゆくところまでは話をした。本当は絵画なら絵画、音楽なら音楽を、そのままの形で堪能すればいいのだけれど、どうしてあえて分解してゆくのだろう。そこのところを質問されて答えに困った。

 そうだなぁ、例えば子供の頃に目覚まし時計やおもちゃを分解したことはないだろうか。物を理解するというのは、ものごとを理解するうえで一番初めに取り掛かることではないかな。

 例えば遺伝子そのものは昔から知られていた。ところがその遺伝子がどういった形で遺伝に関係してゆくのか、遺伝子そのものは何でできているのか、遺伝子のどの部分がどんな情報をもっているのか・・、そのことは遺伝子そのものをもっと小さい構成要素まで分解しなければ分からなかったはずだな。

 例えば、この世界を構成している要素は何かということで、昔から色々考えられてきた。一番分かりやすいのは目で直接見ることができる、木とか水とか火とか土などだな。ところが科学が進んでくると、水は酸素と水素で出来ているんだということがわかってくる、やがて水素分子は原子核と一個の電子でできているということになり、さらに原子は・・・と続いてゆく。今の時点でというだけで、さらに科学が進めばもっと細かく分けてゆくことができるかもしれない。結局こういうことができる。今の科学的な理解で分解できるまでということだな。

 コンピュータの出現で事態は急変した。分解解析能力が飛躍的に向上した。しかし、はたしてそれが絵画を理解したということになるのかどうか、少々苦しくなってきた。

 ところで、物事を分解解析した理由は何だったということだな。突き詰めてゆけば、全てのものを等価値に置いて自分の意思で自由に使う権利が欲しかったのかな。

 ところで今流行のインスタレーション(設置芸術)などを、どう理解するかというと、これは昨日しゃべりながら気がついたことなんだけれど、これは時間をも分解して自由したものかもしれないな。

 



 
イノうえ・ナおひさのイバラード日記」より勝手引用
http://megezo.ddo.jp/inoue/tackynote.cgi?action=view&year=2010&month=12&day=28&no=1054#1

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 略・・
僕も以前は、とくに若い頃は
「作品だけ見てもらえればいい、説明は必要ない」と思っていた。
しかし作者からの説明は、言葉の表向きの意味よりも、
その語り口、話の持って行きよう、言葉の選び方、目の付け方が面白い。
そういうもので作者の心の作り方が見えてくる気がする。
作品の見方も、なお深まる気がする。
・・略



 
はる 3473
 いつの間にか還暦も近いこんな年になってしまったけれど、自分の中じゃまだまだという気がしている。いや、まだ入り口に差し掛かったばかりだという気がしてならない。そう、けっして冗談ではなくて、まだほとんど何も見えていない状態で、これで終わってしまったんじゃ、長々とやってきた意味がない。これから面白くなってくるように思うんだな。本当に。

 昨日の「才能は贈り物」というのもなかなか名言だな。英語の「gift」の意味が「天賦の才能」の意味もあるということなので、確かに天から与えられたもので、自分の努力で勝ち取った能力ではないのかもしれない。

 しかし、この間から書いていることと共通することかもしれないが、才能があって努力しないで、何でもすらすら出来てしまうものは、案外長続きしない。なかなか上手く行かなくてちょっとばかり努力して、何とかかじりついている人に、天は少しだけご褒美をくれるものだ。それが「味わい」とか「雰囲気」になるのかな。天賦の才能がない凡人はそこまでやらなければ一人前にはなれない。

 昨日の文章で「そうだそうだ」と思ったのは、いい作品ができた時は自分が描いたものじゃない気がするってことだな。自分が持っているもので「こんなものが描けるはずがない」といつも思うんだな。

 言い訳なんだけれど、こう集中して一心不乱に絵を描くということも一つの「あちらの世界」に行く方法だけれど、方法はそれだけじゃないような気がするんだな。例えば裸婦のクロッキーなどをしている時、頭の中は空っぽで一瞬「狐がついている」状態になる。そんな時に引いた線は常では真似ができない「いい線」が引かれている。あっ「いまいい線が引けてる」と思うともうだめなんだ。気持ちがこちらに戻っているからね。

 もう一つはぶらぶらアトリエで遊んでいて、本読んだり、時々ちらちら絵を観てるわけだ。色んな絵をちょこっとずつてをいれている。決して一つの絵に集中することはない。そんな時にぽっといい絵が描けていたりする。後から気付くんだけどね。「これいいじゃん」みたいに。

 思うに「自分の手の内だけで描いたもの」というのはまぁ安心できるし、破綻もないほどほどの出来だと思うんだな。だけど本当にいいものというのは「自分が描いたものじゃない」誰かが私を通して描かせたもののようなきがする。まぁこんな描き方なので良かったり悪かったり色々だな。



 
内田樹の研究室より勝手引用
http://blog.tatsuru.com/2010/12/26_1356.php
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前略・・
才能はある種の贈り物である。
それに対する反対給付義務は、その贈り物のもたらした利益を別の誰かに向けて、いかなる対価も求めない純粋贈与として差し出すことによってしか果たされない。
けれども実に多くの「才能ある若者」たちは、返礼義務を怠ってしまう。
「自分の才能が自分にもたらした利益はすべて自分の私有財産である。誰ともこれをシェアする必要を私は認めない」という利己的な構えを「危険だ」というふうに思う人はしだいに稀な存在になりつつある。
でも、ほんとうに危険なのである。
中略・・
スランプというのは「私たちにできるはずがないのに、軽々とできていたこと」ができなくなることを言うのである。
「できるから、できる」ことと、「できるはずがないのに、できる」ことはまるで別のことである。
「できるはずのないことが、自分にはできる(だから、この能力は私物ではない)」と自覚しえたものだけが、次の贈与サイクルの創始者になることができる。
自分は世のため人のために何をなしうるか、という問いを切実に引き受けるものだけが、才能の枯渇をまぬかれることができる。
「自分は世のため人のために何をなしうるか」という問いは、自分の才能の成り立ちと機能についての徹底的な省察を要求するからである。
自分が成し遂げたことのうち、「これだけは自分が創造したものだ」「これは誰にも依存しないオリジナルだ」と言いうるようなものは、ほとんど一つもないことを思い知らせてくれるからである。
後略・・

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はる 3471
 クリスマスです。この日はクリスチャンであろうとなかろうと、多くの日本人が節操なく浮かれていることでしょう。ご多分に漏れず私なんかもウキウキ楽しんだ方です。

 昔はケーキなど大っぴらに食べられるのはこの時だけで、今から考えるとイチゴが乗っていたり、チョコレートがのっていたり、生クリームがたっぷり、そういったデコレーションも珍しかったのかもしれないな。アイスクリームのケーキなども始めて食ったのは遠い昔のクリスマスイブじゃなかったかな。

 今は反対に生クリームがのったケーキは出来るだけ控えるそんな年になったということだな。そのことがそんなに楽しいことではなくなったというのは若干寂しいことではある。

 クリスマスの最初の想い出は、日曜学校で下町の大きな教会に出掛けたことだ。サンタの格好したおじいさんがいたことにもびっくりしたけれど、何よりも天井が高い真っ暗な空間に音楽と共に中に入ってゆくことが、今までかつて経験したことがない大きなカルチャーショックだった。今考えるとどこにでもある下町の小さな教会だったのじゃないかと思うのだけれど、そういった経験は長い人生でそうあるものではない。

 私の人生でこの日曜学校というのがとても重要な位置をしめているな。当時の日本の文化的な状況を考慮して考えなくてはならないのだけれど、まだテレビもなく唯一ラジオが極普通の家庭では重要な娯楽であったころの話ですよ。ラジオからは今で言うポップスなどはあまりかからないわけだ。親父はよく浪花節を聞いていた。

 テーブルなどというハイカラなものはなく、長い食卓に全員が正座して並んで飯を食ったものだ。冬の暖房は火鉢一つだったきがする。そでも不満はなにもなかった。

 そんな普段の生活の中で、時に出掛ける日曜学校の家庭はふかふかのカーペットが敷いてあり、ガススーブがあって異様に暖かだった。近所のガキどもはおやつほしさに三々五々集まってはだべっていたように思う。それでも其の家では邪魔者扱いにはされなかった。

 前にも書いたけれどそこでもらうラファエロのカードがカラーだったな。色がついているそういった写真は当時貴重だったきがするな。いまじゃなんでもないけど・・。

 異国趣味というのではない。知らないみたこともない世界というのは豊かで途方もなく魅力に満ちているんだな。日曜学校というのはそんな世界を見せてくれる小さな窓だったんだな。

 
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