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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2829
 敷き石その後
 市役所の建築指導課というところから電話がいったようで、すぐに「何とかします」という留守電が入っていた。まぁこれでそのまま踏み倒すわけには行かないと思ったようだ。けれど、その後また何の進展もなく10日ばかり過ぎてしまった。

 こういった場合これ以上のことは訴訟に持ち込むしかないのかな。ストーカーやサラ金の嫌がらせのように毎日電話するするとかそんな陰湿な方法しかないのかね。まったくこのまま泣き寝入りだけはしたくない。まぁ私だけの問題ではなくて、この会社はこれからも小さな個人のクレームは握りつぶせばいいと思われるのもしゃくに障る。

 いうことで、また電話する。このままだと進展が無いので、どうするつもりなのか話を聞く。社長は居なくて事務員の方はなしなので、どうもいじめているようでこちらの気持ちもなえてしまう。

 で、少し話を具体的に進めて、工事は私の方がやるのでその請求書を回すということになったのだが、工事といっても私がDIYで自分でやっていることだからなぁ、手数料はどのくらい請求すればいいのやら、まぁというわけで一応話はついた。お金の支払いをしてくれるかどうか、そんなことになる。
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木蓮かな?
はる 2828
 今日は暖かだった。そろそろ桜の開花情報が聞かれるだろう。毎朝散歩している公園の桜もつぼみがやや色づいて準備が整ったようだ。
 
 昨日は久しぶりの午前様だった。中央の公募団体に属している話はどこかで書いた。こういった地方にも同じような美術団体があるけれど、全国規模の団体となると所帯も大きい。文字通り北は北海道から南は沖縄まで全国津々浦々から出品してくる。それらのもろもろを整理して受け付けて、審査して陳列、また全国に巡回の手はずを組むのも全て我々会のスタッフがボランティアでやっている。

 まぁすごいことだ。(一旦中断)
 
 再び
 違うことを書こう。昨日銀座のいつもの画廊に出かけた。そこで高山辰雄の画文集を借りた。画集はたくさん観たけれど、文章になっているものをあまり読んだことが無かった。亡くなるまでいい絵を描いた作家は少ない。特に男性の作家は少ないように思うな。その中で最後の最後までいい絵を描いた一人として彼は好きな作家の一人だな。
 
 他の作家と何が違うのかといえば、とにかく最後までじたばたして完成しないというところだろうか。大家になっても探究心を失っていないところだろうか。具象の作家ではあるけれど、きれいな風景を描いたり美人画を描いたり、そういったところで終わっていないところがいいと思う。
 
 実際にどんなふうに考えていたのか知りたいと思った。こんな文章にであった。以下に書き写しておきます。

「・・ところが、好きなだけでは絵はかけないことが次第にわかってくる。・・中略・・芸術の世界では、しばしば個性、個性、といわれるけれども、私は個性ではなく、みんなと共通した世界の絵をかきたいと思いました。そしてみんなの心を知りたい、みんなが何を考え、何を求めているのかしりたいとも思いました。それを絵の上で探してみよう・・、その気持ちは今でも変わっていません。・・個性などというものは目的にはならない。私という個性の目ではなく、みんなと同じ目で描くことです」
 存在追憶限りない時の中に・・高山辰雄より



 
 今日は午前様。お疲れさま。



 
 「音を観る」と書いて観音という。音を観るなら色は聴くかな。それとも「色は匂う」のか。それにしても春が近い水音が聞こえるようだ。

 明日はお江戸に用事で出かけます。更新は出来ないかもしれません。あしからず。



 
はる 2825
 
 時代の「正義」みたいなものがあって、これもまた例えなんだけれどライブドアのホリエモンが出てきた時に、彼はやけに目立つ格好でバッファロウズの旗を振っていた。球団というのは時代の覇者が持つもので、一時は鉄道が親会社であることが多かった。それから次にデパートかな。最近は金融のオリックスとかソフトバンクなどが牛耳っている。

 出てきた当時彼は何者か正体不明であった。何とはなしにIT関係の長者であると言うことは分かっていたけれど、楽天にしてもそうだけれど、時代はそういったIT関係になって行くのだろうな、だから彼が落ちぶれた鉄道に代わって好きな球団を持つのはいいかもしれないという雰囲気があった。それが時代の「正義」のように思って後押しした人も多かったのではないか。

 ところが少し時間がたって眺めてみると、彼は別に野球が好きでそのために球団の旗を振っていたのではないということが分かる。とにかく目立った行動をして名前を売る。ライブドアという会社の知名度を売ることにその事を利用したのだ。彼はそれを分かってやっていたのだから、策士として一級なのかもしれない。しかし、すぐに化けの皮がはがれたから二級なのかもしれないな。

 教育というのはあんがい策略に近いかもしれない。上手い具合に「正義」を作ってやれば生徒たちは一心不乱にそれに向かって努力する。下手な策士は強制力で仕事をやらせようとするけれど、あるところまではそれで充分統制がとれるのだけれど、次第に手を抜くことを学習してしまう。それが全てになってしまえば本末転倒になる。

 まぁいずれにしても、時代の空気に惑わされないことが肝要だ



 
 例えばテレビとかラジオとか新聞さえなかった頃を想像してみると、ほとんどがその周辺地域何キロ範囲の出来事ぐらいしか知り得なくて、実に平和だったように思う。人がうまれて生きて死んでゆく、案外幸せというのはそんなものでいいのかもしれない。

 今の時代情報があまりにも繁雑に溢れかえっているので、反対に何が重要でどれが不必要なのかまったく分からない、混沌の中にいる。 

  いいとか悪いとかの判断は時に非常に安易に決められるのだけれど、よくよく考えないとその時代の大きな流れの中で見失ってしまう。大体においてその時代の「正義」というのは為政者や力を持ったものの都合のいい方便である場合がおおいな。「正義」には要注意だな。

 
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はる 2821
「続・永遠の故郷3」
(以下のことは確かなことではありません。あしからず)
 数学の難問「ポアンカレ予想」の話をNHKで観た。実はこの問題は2006年に解決済みのことで真新しいことではなかったんだな。そんなことはまったく知らなかったので随分と面白く観た。数学のことかと思ったら、実は宇宙の成り立ちの話で私はいつも考えている「永遠の故郷」の話と通じるところがあったので驚いた。

 ロシアの数学者ペレリマン博士が解いたのだけれど、そのおかげで一種のノイローゼ状態になってしまったらしい。まぁ詳しくはNHKの番組を6回に分けてyoutube観る事が出来るのでそれをお勧めします。
http://www.youtube.com/watch?v=Ep-9RQo7zb8

 これによると、宇宙は「おおむね丸い」というのか閉じられた世界であるというのが証明されたということなんだな。この間の「続・永遠の故郷」の話のところでは知らなかったので、随分と遠回りしてしまった。テレビでは「おおむね丸い」と説明していたけれど、それは宇宙は有限で閉じられた空間だということを証明したということだ。まぁ我々三次元の人間が認識している有限とは少し違うけれど、時空を含めて有限だということだな。これは画期的なことだろうな。

 数学者は凄いなぁ、頭の中で宇宙の成り立ちを空想して予想を立てて実際に証明してしまうのだから驚いてしまう。考えることはぼんくら頭でも出来るけれど、それを数学的に証明するのは天才しかできない。これで宇宙は閉じられた世界だということになったわけだ。

 絵描きである私がなぜこのことに興味があるのか、実際の話本質的なことは何一つ理解は出来ていないのだけれど、この宇宙の成り立ちというのか理ということに興味がある。多分こういった数学的な命題もどんな難題であれ解かれたものを見ると実にすっきりしたものだろう。真理というのは単純な形をしていることのようだ。そういう本質てきなこと、普遍的な事柄に興味があるわけだ。

 繰り返しになるのだけれど、実は宇宙の話は私自身の話でもある。どんなに気宇壮大な宇宙の話をしても、とどのつまりその宇宙は私の頭の中にある、そのことがとりもなおさず愉快の源だ。我々は全て「星の子」であるから、からだの細胞一つ一つに「宇宙の遺伝子」として宇宙のかけらが残っている。だからまことにとんでもない遠い存在だと思っていた宇宙の創生の話が、最も身近な私事でもある、そのことがとても面白く感じるところだ。

 (永遠の故郷4・はる2467)「フラクタルの理論」のところでも書いたけれど、結局大きすぎて空想も出来ない宇宙という存在も突き詰めてみればミクロ的な私の心の中身を考えるということと同じだということなんだな。

 画家が一筆をキャンバスに置く。そのことは宇宙の理とつながっているように思うのだ。 

 
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  同級生が亡くなったという知らせを受けた。この年になれば色々な訃報を受け取った。けれど同級生の死というのはまた格別悲しいものがある。50年と言う歳月はやっぱりとても長いもので、誰だって平等に死はやってくる。けれど人生の最初の学生時代に同じ時をすごした仲間というのはとても忘れがたいものがあるな。

 あの石ころだらけの小学校の校庭で遊んだことや、夏の暑い臨海学校とか、学校から見えた最後の蒸気機関車とか、冬の寒い暖房の無い教室とかそんなことが次から次と浮かんでくる。あの場所であの時間に同じ場所にいた仲間が一人居なくなった。そしていつかだれも忘れてしまうのだな。

 私が生きている間は覚えているからな。どうか静かにゆっくりとお休み下さい。
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