画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2857
昨日から新学期が始まって私の授業も滞りながら始まった。新学期は何やかやと行事が多くて授業がまともに進まない。まぁ毎年のことなので心得てはいるのだけれど、今日も午前中の授業だけで午後は特別なカリキュラムでカットになってしまった。私は定時制の授業も持っているので夕方までまるっきり空いてしまった。
やることが無いので寝るしかない。やたらと長い休憩だな。これで時給がつけば文句はないのだが、学校の都合で授業がつぶれてもカウントしてくれない。わざわざここを空けてあるのだから半分でもカウントしてくれるとありがたいのだが、今の派遣社員やパートのおば様と変わらない。底辺の労働者は使い捨てと同じ。学校の講師でも実態は変わらんな。
もう30年近くこんなことをやっている。非常勤という仕事はそういった仕事なんだ。正規の構成員ではない。身分的には何の保証も無い。何か他に自分の仕事を持ちながら、臨時に片手間にやるならそこそこの仕事ではあるけれど、命をかけてやる仕事ではない。とはいいながら人相手だから、そこそこ一生懸命やってしまうんだな。生徒はシビアに見てるからね。そこが難しいところだ。
学校というのか管理職というのか上にたつひとは案外そういったことを踏まえて人を使っているのじゃないかと勘ぐる。というのは、教育というのは手を抜けないところがあって、手を抜くととたんに生徒は言うことをきかなくなる。生徒は触覚的な感覚で教師を見ている、すきあらば楽しようと待ち構えている。それでもいいと全く無責任でいられるならそれも一つのやり方だとおもうのだが、長くは続かないと思うなぁ。
だから上にたつひとはとてもずるい。どうやっても手加減できないということを知りながら、基本的な労働条件をどんどん切り詰めて来る。切って切ってきりつめられても、それでも生徒の前に立った場合一生懸命やってしまうことを彼らは承知しているのだ。それで全く何も保証しないというのは上手いよな。自分のふところは全く痛まない。嫌なら代わりはいくらでもいるよ居直っている。
まぁもう私はいいけどな。でも次にやる人はそこらあたりの労働環境をしっかり改善した方がいいように思う。他人事だけど、このままだともっと悪くなるだろう。教育者という人間的にも一番保護されなければならない職業でありながら、非常勤講師という職業は基本的な労働条件にも合致しない劣悪な労働環境で働いている。やろうと思っている人は、やめたほうがいい。
昨日から新学期が始まって私の授業も滞りながら始まった。新学期は何やかやと行事が多くて授業がまともに進まない。まぁ毎年のことなので心得てはいるのだけれど、今日も午前中の授業だけで午後は特別なカリキュラムでカットになってしまった。私は定時制の授業も持っているので夕方までまるっきり空いてしまった。
やることが無いので寝るしかない。やたらと長い休憩だな。これで時給がつけば文句はないのだが、学校の都合で授業がつぶれてもカウントしてくれない。わざわざここを空けてあるのだから半分でもカウントしてくれるとありがたいのだが、今の派遣社員やパートのおば様と変わらない。底辺の労働者は使い捨てと同じ。学校の講師でも実態は変わらんな。
もう30年近くこんなことをやっている。非常勤という仕事はそういった仕事なんだ。正規の構成員ではない。身分的には何の保証も無い。何か他に自分の仕事を持ちながら、臨時に片手間にやるならそこそこの仕事ではあるけれど、命をかけてやる仕事ではない。とはいいながら人相手だから、そこそこ一生懸命やってしまうんだな。生徒はシビアに見てるからね。そこが難しいところだ。
学校というのか管理職というのか上にたつひとは案外そういったことを踏まえて人を使っているのじゃないかと勘ぐる。というのは、教育というのは手を抜けないところがあって、手を抜くととたんに生徒は言うことをきかなくなる。生徒は触覚的な感覚で教師を見ている、すきあらば楽しようと待ち構えている。それでもいいと全く無責任でいられるならそれも一つのやり方だとおもうのだが、長くは続かないと思うなぁ。
だから上にたつひとはとてもずるい。どうやっても手加減できないということを知りながら、基本的な労働条件をどんどん切り詰めて来る。切って切ってきりつめられても、それでも生徒の前に立った場合一生懸命やってしまうことを彼らは承知しているのだ。それで全く何も保証しないというのは上手いよな。自分のふところは全く痛まない。嫌なら代わりはいくらでもいるよ居直っている。
まぁもう私はいいけどな。でも次にやる人はそこらあたりの労働環境をしっかり改善した方がいいように思う。他人事だけど、このままだともっと悪くなるだろう。教育者という人間的にも一番保護されなければならない職業でありながら、非常勤講師という職業は基本的な労働条件にも合致しない劣悪な労働環境で働いている。やろうと思っている人は、やめたほうがいい。
はる 2854
元来が怠け者で根性なしでグータラな私なので、百姓仕事など今までやったことがない。今までの経験では農業高校に非常勤で行っていたものだから、その当時トマトとナスの苗をもらって挑戦したことがある。収穫したおぼえが無いので実は出来なかったのかもしれない。
放っておいても出来る梅や柿をもいで梅酒にしたり梅干にしたことはあるけれど、バジルやルッコラのようなハーブ系は簡単に育つけれど、実のなる野菜や果物は上手くいった経験が無い。難しいように思うな。出来れば無農薬で育てたいので尚むつかしいだろう。
小さいながら今回は普通の庭を畑に開墾することからはじめたので畑そのものに愛着がある。小さな石や草の根、今まで植えていた木の根っこなど相当ザクザクと出てきた。未だに出てくるので取りきることは不可能かな。
畑の大きさは5mx5mほど、大体地表から20CMくらいスコップで掘り込んで土をやわらかくした。それから全体に石灰を撒いて土壌をアルカリ性する。ついでに有機肥料と堆肥を土に混ぜ込んだ。これだけで充分疲れてしまった。夕方からの作業だけれど3日ほどかかった。
で、今日早速色々な野菜の苗を買ってきて植え込んだ。一見それ風には見えるけれどここからが本来の仕事だろうな。どうなることやら、時々報告しよう。
少し話題をかえて
人としての最終的な思い描いているカタチというものがあるだろう。
例えば政治的な人間、どこかで自分の力を覇権という形で使いたいとか理想というカタチで実現したいと思っている人間。
例えば言葉は思いつかないけれど経済的な成功を一番に考える、そういった生き方を是とする人間。
例えば学問に一生を捧げるとか、特定の宗教に帰依するとか、修行するとか、実社会での成功より精神的な満足を是とする生き方、仮に哲学的な人間としよう。
まぁ私などは中途半端だけれど、ぎりぎり最後の部類に入るわな。で、具体的にどんな生活が考えられるかとつらつらと考えると、「晴耕雨読」的な生活が最終的な理想のカタチかなと思う。こころのどこかに、漂白か老荘の「小国寡民」があるな。でとことん最後、仕上げは旅にでるというわけだ。
でまぁそこらあたりに近づきつつあるのかな。 まだまだ紆余曲折あるだろうけどさ・・。
元来が怠け者で根性なしでグータラな私なので、百姓仕事など今までやったことがない。今までの経験では農業高校に非常勤で行っていたものだから、その当時トマトとナスの苗をもらって挑戦したことがある。収穫したおぼえが無いので実は出来なかったのかもしれない。
放っておいても出来る梅や柿をもいで梅酒にしたり梅干にしたことはあるけれど、バジルやルッコラのようなハーブ系は簡単に育つけれど、実のなる野菜や果物は上手くいった経験が無い。難しいように思うな。出来れば無農薬で育てたいので尚むつかしいだろう。
小さいながら今回は普通の庭を畑に開墾することからはじめたので畑そのものに愛着がある。小さな石や草の根、今まで植えていた木の根っこなど相当ザクザクと出てきた。未だに出てくるので取りきることは不可能かな。
畑の大きさは5mx5mほど、大体地表から20CMくらいスコップで掘り込んで土をやわらかくした。それから全体に石灰を撒いて土壌をアルカリ性する。ついでに有機肥料と堆肥を土に混ぜ込んだ。これだけで充分疲れてしまった。夕方からの作業だけれど3日ほどかかった。
で、今日早速色々な野菜の苗を買ってきて植え込んだ。一見それ風には見えるけれどここからが本来の仕事だろうな。どうなることやら、時々報告しよう。
少し話題をかえて
人としての最終的な思い描いているカタチというものがあるだろう。
例えば政治的な人間、どこかで自分の力を覇権という形で使いたいとか理想というカタチで実現したいと思っている人間。
例えば言葉は思いつかないけれど経済的な成功を一番に考える、そういった生き方を是とする人間。
例えば学問に一生を捧げるとか、特定の宗教に帰依するとか、修行するとか、実社会での成功より精神的な満足を是とする生き方、仮に哲学的な人間としよう。
まぁ私などは中途半端だけれど、ぎりぎり最後の部類に入るわな。で、具体的にどんな生活が考えられるかとつらつらと考えると、「晴耕雨読」的な生活が最終的な理想のカタチかなと思う。こころのどこかに、漂白か老荘の「小国寡民」があるな。でとことん最後、仕上げは旅にでるというわけだ。
でまぁそこらあたりに近づきつつあるのかな。 まだまだ紆余曲折あるだろうけどさ・・。
コラムの投稿サイトにもう一年ほど投稿している。といっても新しいコラムではなく、ここに書いたコラムの一週間分を適当にセレクトして投稿するわけだ。それからまた一か月分をまとめて自分のメルマガ「あそびをせんと」で月イチで配信している。まぁ一粒で三回相撲をとっているようなものだな。
どれもさして多くの人が読んでいるとは思わないのだけれど、とにかく毎日何かコメントを書くという習慣はできたように思う。何と言うことは無いコメントも多く、自分でもほとんど読み返すことはない。まぁ自分の足跡のようなもので、鑑賞するものでもない。毎日刻み付けるメモリーだ。
しかし、これが以外に役立っていることもある。ものを考えるということは書かなければ堂々巡りであることが多く、ほとんどの場合散漫なまま終わる。こうやって書きながら考えるとある程度まとまって来るように思うな。静かに自分の心の声に「みみをすます」こんな時間がわりと好きだ。
どれもさして多くの人が読んでいるとは思わないのだけれど、とにかく毎日何かコメントを書くという習慣はできたように思う。何と言うことは無いコメントも多く、自分でもほとんど読み返すことはない。まぁ自分の足跡のようなもので、鑑賞するものでもない。毎日刻み付けるメモリーだ。
しかし、これが以外に役立っていることもある。ものを考えるということは書かなければ堂々巡りであることが多く、ほとんどの場合散漫なまま終わる。こうやって書きながら考えるとある程度まとまって来るように思うな。静かに自分の心の声に「みみをすます」こんな時間がわりと好きだ。
はる 2852
ある雑誌を立ち読みしていたら、西欧の骨董の話が出ていた。今骨董が新しいのかな?
古いものに興味があったのは子供の頃からだ。当時古いといっても壊れたラジオとか動かなくなったおもちゃや、鉄のガラクタとか木っ端だったり、ブリキの缶を集めていた。まぁそれは何かに転用して遊ぶ材料だったしたのだが、そういった意味では随分と変わった子供だったのかもしれない。
雑誌を読んでいて気になったのは今をときめく村上某氏が盛んに骨董を集めているということだった。魯山人やデシャンを持ち出して骨董と現代美術に共通する「価値の捏造」について書いていたけれど、彼が骨董屋を見て回るのはそれぞれの店の捏造ぶりを研究するためだそうで、現代の錬金術師・山師の彼に言われてしまえば、骨董も色あせて見えてくる。
何か違うだろうと思うな。骨董が持っている品みたいなものが彼の作品にはないように思うのだ。まぁひがみも大いに入ってはいるけれどね。
ある雑誌を立ち読みしていたら、西欧の骨董の話が出ていた。今骨董が新しいのかな?
古いものに興味があったのは子供の頃からだ。当時古いといっても壊れたラジオとか動かなくなったおもちゃや、鉄のガラクタとか木っ端だったり、ブリキの缶を集めていた。まぁそれは何かに転用して遊ぶ材料だったしたのだが、そういった意味では随分と変わった子供だったのかもしれない。
雑誌を読んでいて気になったのは今をときめく村上某氏が盛んに骨董を集めているということだった。魯山人やデシャンを持ち出して骨董と現代美術に共通する「価値の捏造」について書いていたけれど、彼が骨董屋を見て回るのはそれぞれの店の捏造ぶりを研究するためだそうで、現代の錬金術師・山師の彼に言われてしまえば、骨董も色あせて見えてくる。
何か違うだろうと思うな。骨董が持っている品みたいなものが彼の作品にはないように思うのだ。まぁひがみも大いに入ってはいるけれどね。
何をしているのかといえば、私の生活はほとんど何もしていないと同じだ。真剣に絵にむかっているのは一日の内何時間も無い。後はうだうだと鼻毛を抜きながらうだうだと考え事をしているようなフリをして、ほぼ一日の仕事が終わる。ほんとうは朝起きたらそのままアトリエに入って昼飯まで一仕事するといいたいのだけど、暇つぶしに時代小説などを読んでいる。これがけっこうはまってしまって抜けられない。
午後からは畑仕事のために肥料やその他の道具をホームセンターに見に行く。このホームセンターは私にとってワンダーランドで一日いても飽きないほど魅力に満ちている。小さな耕運機が展示してあったので、よだれをたらしながら眺める。クワやその他の道具も購入する必要があるだろう。けれど予算がない。この次にしよう。
着替えて土方仕事に入る。少しやればすぐさま疲れてしまう。これまた体力と根性が無いのでお茶を飲みながら休み休みやる。なかなか楽しい。私に無いのはやり続けるという根性だ。
午後からは畑仕事のために肥料やその他の道具をホームセンターに見に行く。このホームセンターは私にとってワンダーランドで一日いても飽きないほど魅力に満ちている。小さな耕運機が展示してあったので、よだれをたらしながら眺める。クワやその他の道具も購入する必要があるだろう。けれど予算がない。この次にしよう。
着替えて土方仕事に入る。少しやればすぐさま疲れてしまう。これまた体力と根性が無いのでお茶を飲みながら休み休みやる。なかなか楽しい。私に無いのはやり続けるという根性だ。
はる 2849
隣の家が空家になった話は少し前に書いたかな。80過ぎのジーさんが一人暮らししていたもので、時々親戚の家族が面倒を見ていたようだけれど、昨年の秋頃だっけなぁ、入院したとおもったらそのまま帰ってこなかった。
私の家はその爺さんのうちと共同で一本の私道を使っている。俗に言う「旗地」というやつで、長い私道の袋小路に小さな地面がくっついている。住んでいる分にはあまり不自由は感じないのだけれど、いざ売却するとなると不動産的には一番価値の無い「腐れ土地」だろう。
田舎に住んでいるのだから、さぞ広大な土地をもって広いアトリエで絵を描いているというイメージがあるけれど、実際は極々つつましい、日当りの悪い住宅地の一角に住んでいる。なぜこの場所に住むようになったかはまたの機会に譲りましょ。とりあえずは中古の家を買って自己流で改装しまくったわけだ。これが絵を描くより楽しかった。
で、話は横道にそれてしまったけれど、その隣が空家で草ボーボーだったので、借りて小さな畑にすることにした。理想的には夏野菜の自給自足を目指したい。自分の食べ物を自分で作るというのが究極のスローライフでしょう。まぁあまり頑張らずにコンテナ栽培の延長上ぐらいのつもりでやるつもりだ。
それはそうと、私ぐらいの年になると週末に帰農する人がおおいなぁ。わざわざ東京からこちらの方に農地を借りて週末に通っている人もいる。土にかえるというのか、自分の口は自分でまかなう、それが一番動物として理にかなっているそんな気もするのだな。
社会が複雑になって活動期には人は土を離れてパソコンなどの架空の世界に住んでいるだけれど、だんだんそれに疲れてくる。食べることは自分の生命を維持するだけでよかったのが、段々に食うことは生きることと直接つながっていることに気が付いてくる。上手いものを食うということではなくて、何を食うかということはどう生きるかということと同じことなんだな。その最終的なカタチが自分で作ったものを食うということだ。
隣の家が空家になった話は少し前に書いたかな。80過ぎのジーさんが一人暮らししていたもので、時々親戚の家族が面倒を見ていたようだけれど、昨年の秋頃だっけなぁ、入院したとおもったらそのまま帰ってこなかった。
私の家はその爺さんのうちと共同で一本の私道を使っている。俗に言う「旗地」というやつで、長い私道の袋小路に小さな地面がくっついている。住んでいる分にはあまり不自由は感じないのだけれど、いざ売却するとなると不動産的には一番価値の無い「腐れ土地」だろう。
田舎に住んでいるのだから、さぞ広大な土地をもって広いアトリエで絵を描いているというイメージがあるけれど、実際は極々つつましい、日当りの悪い住宅地の一角に住んでいる。なぜこの場所に住むようになったかはまたの機会に譲りましょ。とりあえずは中古の家を買って自己流で改装しまくったわけだ。これが絵を描くより楽しかった。
で、話は横道にそれてしまったけれど、その隣が空家で草ボーボーだったので、借りて小さな畑にすることにした。理想的には夏野菜の自給自足を目指したい。自分の食べ物を自分で作るというのが究極のスローライフでしょう。まぁあまり頑張らずにコンテナ栽培の延長上ぐらいのつもりでやるつもりだ。
それはそうと、私ぐらいの年になると週末に帰農する人がおおいなぁ。わざわざ東京からこちらの方に農地を借りて週末に通っている人もいる。土にかえるというのか、自分の口は自分でまかなう、それが一番動物として理にかなっているそんな気もするのだな。
社会が複雑になって活動期には人は土を離れてパソコンなどの架空の世界に住んでいるだけれど、だんだんそれに疲れてくる。食べることは自分の生命を維持するだけでよかったのが、段々に食うことは生きることと直接つながっていることに気が付いてくる。上手いものを食うということではなくて、何を食うかということはどう生きるかということと同じことなんだな。その最終的なカタチが自分で作ったものを食うということだ。
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