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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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荘子の話
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-323.htm
から
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無用の用
  
 およそ有用――役に立つということは大事なことに違いない。
だが、浅はかな人間の知恵で推し量られる有用が、本当の有用であるか
どうか。もう一つ上の、“道”(タオ)の立場から見れば、凡俗の輩の
有用などは取るに足らぬこざかしさ、いや愚かさに過ぎず、無用とされ
るものの方に却って大用――真の用があるとも言えるようではないか、
と例の皮肉哲学者荘子は、無用の用を強調するのである。
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 戦後でしょうか、アメリカ型の生活習慣が入ってきて、全てが能率主義、市場主義、便利が全て、つまり「有用の用」が全てに優先するようになった。まぁその結果が今の我々の生活を作ってきたわけだから、全てを否定することはできないのだけれどね。ただ、ちょっと待てよ、というのがここに来ての反省だと思うんだな。

 無駄というのか、遊びというのか、無用というのか、今までに必要ないと思われていたものの中にこそ大事な事が隠れていたんだよと教えている。

 これは今流行の「スローライフ」につながるような話だけれど、例えば物の売り方一つをとってみても、スーパーマーケットのようなものが普通になって、お客さんは勝手に商品を取ってレジで清算するという形が当たり前のようになってしまった。人件費などの効率を考えれば、このほうが当然いいわけで、何だか自由に買い物ができてスマートな感じがする。昔のような市場という雑踏は非常に非効率的で前近代的なかんじがするけれど、あの雑踏と喧騒のなかにこそ人間的というのか、人と人のコミュニケーションがあって、突き詰めるとそこにこそ「人間の幸せ」というのがありそうな気がする。

 例えば、教育にしても主要教科と付属教科?があるけれど、実際に役に立たないと言われている付属教科にこそ生きることの『楽しみ」が含まれている。

 時間がないので今日はここまで。今から東京です。今日は午前様でしょう。
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