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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3725
 「平均律」はもう20年も前の絵になる。今見るとなけなしのワザを精一杯使って、一生懸命がんばって描いているということが見て取れる。まだまだ若いから一発狙いの魂胆が丸見えだ。でもまぁそういった時期も必要なんだと思う。時代はバブルの真っ最中で、皆がみな浮かれているような世相だった。

 油絵でありながらどうにか日本の古典的な雰囲気を取り込みたいというふうに考えていた。日本画的な描き方で下絵をしっかり作って拡大コピーを使って顔などはトレースした覚えがある。この女性の顔は全くのオリジナルでどこかにモデルがいるわけではない。体もたくさんの写真などの資料を用意して色んなモデルさんの寄せ集めで出来ている。そうだ、ピアノは楽器屋さんのカタログから盗んだ記憶がある。そっくりそのままではなく、解体してアレンジしているから盗用ではないだろう。

 全体の雰囲気、構図は源氏絵巻から盗んでいる。勢いのある線は源氏絵巻の十二単の輪郭そのものを真似した。今回探してみたけれど、どれを真似したのか見つけることが出来なかったけれど、上の絵に近いところもあるな。

 和洋折衷で画材そのものは西洋のものを使いながら、表現は日本の個展から盗んで、テーマはまた西欧の古典音楽から取っている。まぁ平均律は現代音楽にも通用するから古典ともいえないけれど、当時はバッハの平均律を意識していた。こういった作り絵はやってみて面白かった。

 前にも書いたけれど、ただ絵を描いて何をどうしたいのか、皆目分らなくなっていた。みんなが通る道だと思うのだけれど、少しは絵が描けるようになって、さてこれからどうするんだと考えた時にはたと困ってしまった。表現すべきものが見つからないのだ。リンゴならリンゴを描けと言われれば描く事は出来るだろう。でいったいリンゴで何を言うのか、そこのところは誰も教えてくれない。

 絵画史はアンフォルメルから抽象になってそこからは色々ありすぎて難しくて理解不能。その時に思ったのは、絵の中に小さいけれど物語があれば絵を描く動機にはなるのじゃないか。こう何か物語の挿絵ではないけれど、美術史は絵画に文学を持ち込むことを否定したけれど、本当は多くの人は絵に物語を期待しているのではないかと思ったんだな。まぁ当時は明確には分っていなかったと思うけれどね。

 まぁそこから油彩の材料も捨ててしまうことになるのだから、面白い。
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「ビーナス誕生」仮題・部分
 
 上は今日一日何回も上から描き込んだ。一時はもうだめかと諦めて上から絵の具を塗り込んだら、かえってそれが良かったのか復活した。だめで元々とエイやっとぶち壊すと良くなったりする。良くあることだ。ここが上手くいったと思って残そうと思うとつまらないものになってしまう。

 昨日の続きではないけれど、いいか悪いかの判断は微妙で言葉で説明するのは難しい。全くどうしようもない作品がどこか一箇所に点が、一本の線が入る事で見事に蘇る場合がある。これは全く奇跡のような瞬間で、絵を描いていて面白い良かったと思う瞬間だな。

 どんな駄作でもその作品にとって最高の瞬間というのがあるのじゃなかろうか、ある一点を過ぎるともう潰れてしまう。後はどうあがいてもその瞬間より絶対に良くはならない。それを見極めるのがまた難しい。大体描いている途中と言うのはあばたもえくぼ状態で、自分の絵にほれ込んでいるので五割以上良く見えている。明日になればげっそりするのは見えているのだが、それはそれ描いている時は見えない。

 その窮みを知りたいと思う。それを知るために絵を描いているのか?な。

 美が生まれる時まさに「ビーナス誕生」ではないかな。
 
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 お袋が亡くなって約40日が過ぎた。法要のために実家にいる。関東に比べて関西はどこかのんびりしている。これがまぁいいことなのかどうかよくわからないのだけれどね。ここから帰った頃が本当の勝負のような気がする。

 テレビでは連日震災関係の報道をしているけれど、何回見ても同じで、まともには見ることが出来ない。子供たちの「ふるさと」の合唱に涙が止まらなかった。歌はいいなぁ、どれだけ多くの人を励ますのだろう。

 普通に放射能の話をしている。これは異常事態なんだ。あってはならないことなんだけれど、段々に耳が慣れていってしまうことが恐ろしいな。まぁおたおたしないことだろうな。私たちにできることは、物を買い占めに走ったりしないことだろうな。

 今まで通りだと電力が足らなくなって、夏にはまた計画停電だという脅しに屈して原発をそのまま野放しにするようなことは是非とも止めにして、もう充分使い放題の醍醐味と恐怖は味わったから、これからは省エネ「小国寡民」で行きます。大きくて強くて豊かな社会はやめにしました。身の丈に合った小さくても、少なく使って、豊かに暮らす、そんな理想的な社会を作りたいと思います。と胸張って答えたい。今が千歳一隅のチャンスです。

・・・・・・・・・・・・・・・・
「小国寡民」
http://homepage2.nifty.com/sakai070403/
ROSHI/80syokokukamin.htm
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「ベットの上の王国」落書き
 
はる 3539
 色々心配かけましたが、日記のバックナンバーを取ることができました。CGIというのはよく分からないのですが、動かす情報は私のHPの箱に入っているのですが、本体はサーバー上にあって動いているんですね。だから引っ越してしまうと、元の動かすオマジナイはあるけれど、動いた軌跡・バックナンバーは元のサーバー上にしかないということらしい。まぁいまでもよく分からない。
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阪急百貨店リーフレット
「子供の情景」

2011年 1/26(水)~2/1(火)
第55回・榎並和春個展
「遠い記憶3」
 
阪急梅田本店
11階美術画廊

大阪府大阪市北区角田町8番7号
電話(06)6361-1381

はる 3500
 カウントが3500になりました。とりあえず、長いお付き合いありがとうございました。これからも出来うる限り続けてゆくつもりです。よろしくかわいがってやってくださいな。読んでもらうこと、そしてリンクを増やしてもらうことそれが励ましの全てです。よろしくお願いいたします。

 さて、明日からまた旅に出ます。更新はシャメだけになるかもしれませんが、出来うる限り臨場感のある報告をしたいと思っています。またお近くの方はぜひとも画廊の方までお越しいただいて実際に作品をご覧になってください。私は全ての日程で在廊しているつもりです。では・・。


 
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「聖者の行進」
F6 2010
 
http://www.ffortune.net/calen/xmas/songs/saintsgo.htm
 より転載
・・・・・・・・・・・・・・・・
略・・
Oh, when the saints go marchin' in      聖者が行進していく時
Oh, when the saints go marchin' in      聖者が行進していく時
Lord how I want to be in that number    神よ、私もそこに居た
                          いのです
When the saints go marchin' in           聖者が行進していく時

And when the sun begins to shine        太陽が輝き始める時
And when the sun begins to shine        太陽が輝き始める時
Lord, how I want to be in that number   神よ、私もそこに居た
                          いのです
When the sun begins to shine             太陽が輝き始める時

Oh, when the trumpet sounds its call    裁きのラッパが鳴る時
Oh, when the trumpet sounds its call    裁きのラッパが鳴る時
Lord, how I want to be in that number   神よ、私もそこに居た
                          いのです
When the trumpet sounds its call        裁きのラッパが鳴る時

Some say this world of trouble,         この乱れし世も
Is the only one we need,                我々に必要なものだといい
                       ます
But I'm waiting for that morning,       しかし新しい世界が始まる
                        朝を
When the new world is revealed.         私は待ち望みたい

黒人霊歌です。作詞作曲者は不明。この曲はアフリカから連行されてきてアメリカで強制労働させられていた黒人の人たちが白人の教会から流れてくる美しい調べに心を洗われ、自分たちの固有のリズムに乗せて、自然発生的に生まれたものと言われています。歌詞はものすごくバリエーションがあります。この曲は黒人の人たちのお葬式の時に死者を賑やかに送ってあげるのにも使用されます。
・・略
 

 
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「老いる」
F3
はる 3289
 正直なことを言えば、表現者という立場で考えると、今までは助走、仮の姿でしかない。いよいよ、これからが本番だ。何をほざいているのかと言われるかもしれないが、考えてみれば分かると思うのだが、技術とか感覚とかいうものは確かに若いうちの方が優れている部分も多い。特に体力勝負のような細密描写みたいなものは、多分若いうちにしか出来ないし、どうやってもピークは30前後できてしまうだろう。年取ってしまうと、根性にしろモチベーションにしろ長くは続かない。

 とんだ負け惜しみに聞こえるかもしれないが、(実際負け惜しみですが)早くして世の中に出なくて正解だったような気がしている。いや考えてみて、あまりにもピークを早いうちに作ってしまうと、息切れしてしまうだろうな。死ぬしか選択肢はなくなってしまう。

 才能がないものは長生きこそ才能だという風なことを聞いたことがあるけれど、確かに長く生きないと分からない事も多い。特に私のように生き様を晒してゆく芸人タイプの表現者は長く生きなければ芸が完成しない。

 多くの人がリタイヤして、ある人は悠々自適で孫の世話を楽しんでいる次期に、またある人はもう人生の表舞台から降りてしまっている時に、これからの20年ぐらいが、私の表現者としてのスタートである気がする。やっと何か入り口に立った気がするからね。 

 これは負け惜しみではなく、年を取るのがとても楽しみだ。どんな風に体の自由が利かなくなってゆくのだろう、どんなふうにぼけてわけが分からなくなってゆくのだろう?これを老人力というらしい。どんな風に自分の結末を付けてゆくのだろう?それを、その時々に考えたり感じたことを私は表現してゆく、これが私の生き様だから芸だから。 
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「泣く事はない」
F6
 ここに自分の作品を晒すことは少ないのですが、下のクロッキーとの対比のためにあえて置きました。物を描くとか描写するというのは単純に目をレンズのようにすることです。最初の頃は兎に角写真のように描くことが一番と思っていました。かといって写真と同じように描いたからといって我々が実際に見えたように描けているかといえば違うのですね。そのことは随分と後になって気づいたことです。実はけっこう嘘を描かないとそれらしく見えないようです。

 写真というのは単眼なんですね。どんなに立体的にみえたとしても、それは一枚の映像でしかない。しかし、3Dの映画などで分かるように我々の眼は複眼で物をダブらせて頭の中で立体的な映像を感じさせているわけです。実際にそこに存在しない立体、奥行きを頭の中でイメージさせているわけだ。

 考えて見ると実際のモデルを見て描くというのは、実はものすごく複雑なこと自然にやっているんだな。二重写しになっている頭の中の映像から、取捨選択して一本の線にまとめ上げるわけだ・・・・・・・

 ・・・・・・・・・眠たいので、ミスタッチが多い。また明日かな。
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祝人(再生+お祭り)
84回国展の作品
162x356cm
 
 祝人と書いて(ほきひと)と読む、それがなまって(ほいと)となったらしい。意味は「正月の祝言を唱えて歩くこじき」とある。ようするに旅芸人なんだろう。それでも祝人という字面は「おめでたい」感じはする。まぁ我々芸に生きるものは全て同じ道にあるきがしている。どうだろうか?
 


「こたえてください09」
新作未発表のためぼかしてあります。
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